私の年と同じかそれ以上の人でないと「大鵬」なんて知らないでしょうね
私もかなり小さい事でしたが、じいちゃんがよく相撲を見ていたので覚えてますね!
そうは言っても家にTVが入ったのは、幼稚園か小学校低学年の頃だから・・・
ちょうど大鵬が活躍していた時ですかね
覚えているんは柏戸と大鵬だけですが、ふたりとも強かった~
今の相撲とはちょっと違うような気もしますが、昔の相撲はしっかり組んでやってました
今の相撲は、色んな技があって面白いけれど昭和の相撲はなんか「すもう」って感じでしたね!
大鵬のお孫さん、長男はプロレス入りしたそうですし、三男は相撲!
やはり血筋は争えませんね!


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大相撲の元横綱・大鵬の孫で、元関脇・貴闘力の三男の納谷幸之介(埼玉栄高3年)が7日、愛媛国体の少年男子個人を制した。この優勝で、全日本相撲選手権(12月3日・両国国技館)の出場権を獲得。8強に入れば、3段目最下位格付け出しの資格を得る。祖父が興した部屋を継承する大嶽部屋への入門が決定的。高校生が付け出し制度で角界入りすれば史上初になる。

優勝候補だった8月の全国高校総体。団体は3位、個人は決勝トーナメント1回戦で敗れ、悔しさを残した。「負けて吹っ切れた。すり足や四股の基礎運動を徹底した」(山田道紀監督)ことで修正。大関・豪栄道(31)=境川=が相撲部に所属した04年以来13年ぶりに団体、個人の2冠も達成した。

大学生や社会人に挑む12月の全日本の出場資格を得たことで「出てみたい。自分の力が通用するか試したい」と意欲。出場すれば九州場所(11月12日初日・福岡国際センター)でのデビュー予定は18年初場所以降に遅れるが、8強入りなら三段目付け出しの資格を得られる。同校OBでは豪栄道が04年に3位、元小結の常幸龍(29)=木瀬=、平幕・北勝富士(25)=八角=が8強入り。山田監督は「可能性はゼロじゃない。スター性は野球の清宮くん並み。関取、三役になるだけの努力は必ずする」と期待を隠さない。

大横綱の面影を残す17歳。「うれしいし、もっと頑張ろうと思える。高校の相撲はやりきった。大相撲で活躍していけるとこまで行きたい」と先を見据えた。

◆納谷 幸之介(なや・こうのすけ)2000年2月14日、東京・江東区出身。17歳。埼玉栄中―埼玉栄高。相撲部主将を務め、3月の全国高校選抜個人、国体少年の高校2冠を達成。190センチ、160キロ。足のサイズは31センチ。得意は押し。

昭和の大横綱【大鵬】
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1940年昭和15年)生まれの大鵬は、1956年(昭和31年)に才能を見出されて二所ノ関部屋に入門して初土俵を踏んだ。1960年(昭和35年)に初入幕した。11月場所で優勝して大関に昇進。1961年(昭和36年)9月場所に3回目の優勝をして、異例の早さで横綱に昇進した。好敵手の柏戸が同時に横綱に昇進し、以後両者が横綱に在位した期間は「柏鵬時代」と呼ばれる[2]。その後1971年(昭和46年)の引退までに優勝32回という前人未踏の記録を樹立した(この記録は、第69代横綱の白鵬翔が、2015年(平成27年)初場所に33回目の優勝を達成するまで破られなかった)。大鵬は猛烈な稽古によって打ち立てられた手堅く負けない相撲を基本として、度重なる怪我もやはり激しい稽古によって克服した。大鵬は美男子としても評判だった。

ちなみに「巨人・大鵬・卵焼き」とは昭和の頃、子どもから大人に至るまでの人々が好きだったものである

昭和の相撲と言えば、大鵬と柏戸


大鵬・最後の優勝相撲